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2012年9月21日 (金)

バングラ報告2012 その2 ジャパニ小

ジャパニ小学校、というのは「日本人が造った小学校」という意味です。
正式な名前は、「カラムディ村イーストパラ小学校」といいます。
イーストパラ、というのは東地区、といった意味です。

634424(写真は、建設中のジャパニ小学校)

1986年ラフマン・モクレスール青年は、九州大学への留学のために来日しました。
カラムディ村出身としては、初めての大学生、日本への留学も初めてです。
そのときのラフマン青年の不安な思いは・・・・
といった話はおいといて。
中学生のときに独立戦争に参加、その後も村の子供たちの教育のために藁葺きの寺子屋風の教室を造って勉強していたそうです。しかし、その教室はモンスーンが来るたびに壊れてしまいます。
嵐が来ても壊れない、れんが造りの学校が欲しい、というのがラフマン青年の希望でした。

一方の大木松子さん。
若い頃から社会的な意識に目覚め、日本がアジアの国々に対して行ったことに対する罪滅ぼしをしたい、と考えていました。ご主人の急死などの出来事を乗り越え、勉強して牧師になったばかり。

そんな2人の出会いが、手をつなぐ会の出発点でした。


0012(ジャパニ小学校の前で、現地の中学生たちと一緒に)


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2012年9月17日 (月)

バングラ・レポート2012 No.1 大木さんのこと

今年の現地訪問から9月4日に帰国してから、早くも2週間が過ぎました。
14名の現地訪問団が体調をほとんど壊すことなく、元気で帰ってきました。
(もどってから疲れが出た人たちもいましたが)

報告が遅くなりましたが、ぼちぼち書いていきます。
たくさんあるのですが、少しずつ、週1,2回のペースで。

今年は最初に、大木松子さんのこと。

大木松子さんは、バングラデシュと手をつなぐ会の創立者であり、初代代表です。

927

1992年現地訪問のときの写真です。朝日新聞に大きく取り上げられました。
その頃は、このようなぬかるみがあちこち。
はだしでないと歩けないところもたくさんありました。

さて、大木さんの業績を少し振り返ってみますね。


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