花の谷クリニックと「認知症ケアの倫理」
この組み合わせ、どんな意味が?とおもわれるでしょう。
土曜日は、二人のすばらしい女性との出会いがありました。
伊藤真美さんと、箕岡真子さん。
伊藤真美さんは、ファイナルステージを考える会の講演会「心にのこる患者さんたち」
伊藤さんは、千葉県の「花の谷クリニック」の院長で、一般外来、緩和ケア病棟、在宅ケアの3つを手がけている女医さんです。
箕岡真子さんは、久留米での「認知症終末期における尊厳あるケア」の講演会
箕岡真子さんは、夫と一緒に診療所をやりながら、生命倫理、とくに最近では認知ケアの倫理について、活発に発言しています。
いずれもすばらしいそれぞれの講演でした。
心にのこった言葉を思いつくままに書いてみます。
伊藤さんから:
花の谷クリニックの診療の特徴は、疾患の縛りがない、治療の縛りがない、ということ。つまり、がんやエイズの末期に限らず、苦痛を伴う状態であればだれでもがケアの対象になるということ。
緩和ケアの三つのステップを大切にする。
1)日常生活の基本を支える=食べること、排泄すること、体を清潔に保つこと
2)どんな病気や障害、老いであってもそれを抱えて人が社会の中で生きることを支える
3)看取りは、「自然に帰る」という思いでささえあう
死の受容についても、興味深い話がありました。
さて、箕岡さん。
実は先月も、岡山で認知症ケア学会の研修会でご一緒したのです。
そのときもずいぶん勉強させられましたが、今回も勉強になりました。
「おだやかに逝きたい 最後までやさしく見守りたい 元気だったあの頃を思い出して」というキャッチフレーズの入った今回のちらしでした。
「看取り」の定義は? で始まった講演でした。
平穏な死、自然な死、あるいはお迎えが来た、という言い方の中には、人間の尊厳が含まれる。
しかし、現在のいわゆる看取りの現状は、そこに倫理的な熟慮がなしに、行われていることに問題がある。
医療現場では、延命のための過剰医療が、一方の福祉の現場では中には、みなし末期ともいうような現実が・・・
時間がみじかっかったので、かなりはしょった言い方でしたが、本質を突いた鋭い指摘に、会場はみんな熱心に、身を乗り出して聴いていました。
認知症ケアの倫理、という難しそうな講演会に、200人以上の聴衆が参加したことにもびっくり。
詳しい内容はとてもここではかけないくらいですが、とりあえず、お二人の著書を紹介しておきます。
必読です。
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