小学校で
特に、在宅ホスピスの話、人の死に関わる話は、小学生にどこまで通じるのか、もし身近な家族にそのような人がいた場合、衝撃を受けるのではないか、など考えます。
今回はまず、この半年ほどに経験した3人の患者さんを紹介しました。
一人目は、80台の乳がん患者。通院しながら輸血をしたり、最期は在宅で亡くなりました。
2人目。奥さんと2人で、思い出や子どもへの想いを、コラージュにまとめた男性。
ある作業療法士の研究の一環ではありましたが、とてもいい思い出になりました。
3人目は、人工呼吸器をつけた重度障がいの子どもさん。
それぞれの、いのちを姿に目を向けてほしい、と思いました。
つづいて、クリニックの紹介。
外来診療、在宅診療、その他に、健康教室やコンサートや講演会などもやっていることを紹介しました。
最後は、「小さなたねの物語」を話しました。
重度の障害を持つひかりちゃんとの出会い、レスパイトケアへの思いから小さなたねの開設へと進んだ経過を話しました。
特に、自分たちと同じ世代(ひかりちゃんは既にその世代を過ぎましたが)の子どもたちのいのちの姿をしって、考える機会を持ってほしいと思いながら。
「いのちはレントゲンにうつらない」というスマナ・バルアさんの言葉を贈りました。
終了後の質問では、
毎日何人の患者さんを診ていますか?
どうして医者になったのですか?
医者になるために、勉強をがんばった時期がありますか?
などと聞かれました。
子どもたちへの言葉の大切さ、これからも肝に銘じていきたいと思いました。
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コメント
片淵湛著『長崎飛翔』を読んだ。著者の専門分野が「脳血管内治療」であることからも、小説に取り上げられている題材に関しては凡そ予測していたが、実際に描かれているのは、全く別のテーマであった。主人公の一人「ヒカル」は「脳の血管病を持つ広島の崩壊家庭の少年」である。この小説は、そんな障害を持った人間が、偶々、奇しくも巡り合った脳血管内治療の専門医である「ヒオトコ」の導きによって、新しい人生を生きて行く主人公「ヒカル」の姿を描いた、謂わば「闘病記録(ドキュメント)」である。にも拘らず、この小説を「記録小説」でなく、敢えて「十年かけて書いた<長崎飛翔>という長編小説である」と、作者は弁明する。
即ち、単なる病状日誌的な治療記録ではない。在天の「金鍔」こと「トマス次兵衛司祭」との霊的交流によって主人公が体験する「信仰の記録」である。「とき」の殻から解き放たれた、と作者は言う。言うならば、これは心霊の世界、信仰の世界を描いた物語である。信仰心の薄い読者にとっては、多分読み難い読み物であろうが、過去にキリシタン殉教及び原爆と二重の試練を経験した「長崎」の人々に対する鎮魂の物語でもある。
投稿: (英山華) | 2012年2月16日 (木) 21:44