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2012年1月 1日 (日)

米沢ゼミ報告 2

皆様、新年あけましておめでとうございます。
いろんなことがあり、たくさんのことを考えさせられた1年でした。
今年はどんな年になるのでしょう。
悔いのない1年にしたいものです。
皆様にとっても、希望の年となりますよう。

さて、遅くなりましたが、11/27米沢ゼミの報告 第2弾です。

今回は、拙著『在宅ホスピス物語』をテキストに、現在の医療の見え方を考える、というのが主なテーマでした。
米沢さんは、本書に「刺激を受けた」といいます。
患者に対する目線は、医師の目線である、一般の闘病記などにはこの「医師の目線」が抜け落ちている、と。ただし、ここには現代医療に対する批判も入っており、特に終盤になって、「言いたいことを言い始めた」と指摘してくれました。


医師の器量が医療の質を作る、臨床現場で患者と緊張関係を持って向きあう医師=臨床医を誤解していた、とも言いました。
施設(病院)医療から医療が展開されているのを当然のように考えていたが、実は臨床の現場とは、もっと幅の広いもの、むしろ在宅から展開されるものである、医療は国民を相手にしたもの、具体的には地域、コミュニティで展開されるものである。
国家の制度に基づく施設(病院)医療では、患者の距離が遠く、一人の人間として向き合うことが難しくなっている、と指摘します。

日本は経済的に停滞している。お金がどう動くか、が基本となる社会である。
高齢者はお金を持っているが使わない。振り込め詐欺が多いが、見方によっては高齢者のお金を世の中に動かす仕組みと考えられないことも亡いのでは?
精神疾患350万人を国民病としたり、がん対策基本法による政策、また100年も持たない原発を輸出しようとする動きなどは、「今]をいかに生き延びるかということであって、未来を見ていない。

いのちという言葉を出すと、医療者の集まりでは、拒否されることがある。
そばにいる人、隣る人として医療者があること(医療者が隣る人になること)が、市民ホスピス(いのちを大切にする社会)への道であると思う。

日本は、いのちの後進国である。
いのちとの向き合い方、長寿社会との向き合い方、がないのではないか。

次いで、「往きの医療」と「還りの医療」の話です。
これは、次回表にまとめて報告いたします。お楽しみに。

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