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2010年11月21日 (日)

家族のケアの力 その3

KさんとSさんが土曜日の朝、続けて亡くなった後、Yさんが亡くなったのは、日曜日の夜。
70台後半のYさん。
2年前から、肺がん手術、脳転移に対する放射線治療、開頭手術などを受けてきた。
地域の拠点病院から、近くの診療所に通院して治療を受けていたが、在宅ケアを希望して当院に紹介された。
在宅を開始してから、半年近くになっていた。

眺めのいい高層のアパートに、奥さんと息子さんと3人で住んでいた。
症状は、脳転移からくる右の手足の不全麻痺と軽い言語障害、肺がん再発からの咳や痰が主で、痛みはなかった。
いつも居間のソファに座って、私たちを迎えてくれた。
トイレは介助で歩行していけるが、外出はできない状態だった。

退院して3ヵ月後。
Yさんが、お盆にお墓参りにいくと言い出した。
それも、大分県のお墓だという。
今年の夏は異常な暑さだった。
お盆の渋滞も大変だろう。渋滞で動きが取れないとき、具合が悪くなったらどうするか?
心配したが、まずはYさんの希望をかなえたい。
暫く水分補給のための点滴を行って、お墓参りに備えた。

お盆の渋滞の時期を避け、少し早めにお墓参りを無事に済ませたYさん。
その後もしばらく落ち着いた日々を過ごした。

ほとんどの家族がそうだが、Yさんの奥さんも、退院当初は不安でいっぱいだった。
具合が悪くなったらどうしよう。
やっぱり病院でないと対応できないのではないか。
また、これまでの病院と縁が切れ、数回しかあったことのない一介の開業医に残りの人生を預ける不安もあるだろう。
いろんな不安の中で、最期まで自宅で過ごす、在宅で看取る、という本人、家族は多くない。

Yさんはお墓参りの後、異常な暑さも手伝って、衰弱が進行した。
いつどうなってもおかしくない状態。
少なくとも家族の意思確認が必要だ。
公団のアパートで、本人を抜きに話をするチャンスがなかなかない。
ある日、ようやく奥さんと娘さんにたずねることができた。

奥さんも、娘さんも、できるだけ自宅で看取りたい、と。

穏やかな時間の流れと、数ヶ月のサポートが、徐々に信頼を獲得して行ったことも在宅を選択しただったと思う。
それでもなお、病状が変化するたびに、家族の心も揺れ動く。

訪問時はいつも居間のソファに座って待っていてくれたYさんが、ソファまで動けず、ベッドで診察するようになった。
トイレまで、何とか介助で歩いていたが、それもできなくなった。
ゼリーなどの柔らかい食事しか入らなくなり、そのうちそれすらほとんど入らなくなった。
奥さんは新聞広告に乗っていた、北海道のトマトのゼリーなどを買ってきて一生懸命食べさせようとしていた。
痰を充分に出すことができなくなり、熱が出たり、息苦しさを訴えることもあった。

この時期になると、クリニック、訪問看護ステーションの訪問回数が増える。
毎日、あるいは午前ステーション、午後クリニックとなり、臨時の訪問も多くなる。

幸いなことに、Yさんは痛みを訴えることはほとんどなかった。
日ごとに弱っていくYさんを、奥さんと息子さん、それに他の子どもたちもたびたび訪れて介護した。

Yさんの衰弱に伴って、介護量はふえ、家族の身体的、精神的負担は増えるのだが、逆に奥さんや息子さんの表情は落ち着いてきた。
この間の在宅でのケアの経験が、彼らに自身と落ち着きをもたらしたと思われた。

たくさんお友人の葬儀を引き受け「儀典長」として一生懸命走り回っていたYさんは、日曜日に家族に囲まれながら、静かに息を引き取った。

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