こどもほすぴす
集まったのは、重度の障害や病気を抱えながら在宅で暮らしている子どもたち、その家族の方たち、子どもと家族を支えるスタッフ(医師、看護師、ソーシャルワーカー、行政の人たち)、地域の人たち・・・
集まった人たちの温かさを感じるひとときでした。
「福岡こどもほすぴすを考える会」は、7月に発足したばかりの会です。
まだ趣意書も、規約も、役員も決まっていない、ほんとに未熟な会なのです。
でも、それぞれに思いをもって集まって来ています。
私と同じ在宅医のK先生は、小児外科出身で重度障害の小児の在宅ケアに熱心です。
彼が出会った大学のH先生の夢は、福岡に子どもホスピスを! という熱い思いを持っています。
彼女は世界の子どもホスピスを訪れ、最新の情報を伝えてくれます。
訪問看護師たちも、実際に子どもたちに触れながら、地域の中での支援活動を広げていきたいと願っています。
在宅へ送り出す側の、病院のメンバーも大切です。今回は、ソーシャルワーカーが主でしたが、医師や看護師の参加も望まれます。
行政の役割も大切。住民の立場に立って考える行政、を支えたいと思います。
そして何よりも、子どもたち自身と、日夜子どもたちと一緒に過ごしている両親、家族の方たちの、発信者としての役割重大です。
一朝一夕には実現できないかもしれないし、これからも試行錯誤の道のりだと思いますが、少しずつ前進していきます。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
こどもほすぴすのブログ、嬉しく拝見しました。いつもありがとうございます。
昨日は、先生の故郷 長崎の原爆の日でした。70代、80代の方たちが、その日の忌まわしい記憶を「伝えて」くださる映像を見て、聴いて、心が震えます。そして、平和について考えさせられました。
我が家は、ひかりの存在のおかげで、「平和」に暮らしています。痛み、苦しみを負いながら、ひっしに生きるひかりに、家族みんな引きずられて、気がつくと、穏やかな世界が確かにあると、強く思う。それは、私にとって「平和」なんです。
不安定で、未来に希望が持ちにくい私たち。でも、必死に生きる存在と共にあることは、希望を、平和を創りだす営みに与ることだと思うんです。当事者と支援者を分けて考える従来の在り方から、それぞれ、違う痛みを負う私たちが、立場を越えて相互に繋がっていけたらいいなと、思っています。
私にも、ひかりにも出来ることがある。しなければいけない仕事があると思います。
これからも、よろしくお願いします。
投稿: 水野 睦 | 2010年8月10日 (火) 15:23
水野さん。書き込みありがとうございます。
長崎の原爆のことは、余り気にかけていなかったのですが、生まれた家と幼稚園は浦上天主堂の下でした。小学校1,2年は山里小学校で、永井隆博士の如己堂の横を通って通い、原爆の日には「あの子らの碑」に花を捧げていました。
大学はその近くの長崎大学病院で、原爆の名残?があちこちに見られました。
今頃の年になって、原爆とのつながりがいろんなところで感じられます。
・・・必死に生きる存在と共にあることは、希望を、平和を創りだす営みに与ることだと思うんです。当事者と支援者を分けて考える従来の在り方から、それぞれ、違う痛みを負う私たち・・・
ほんとにそうですね。
こらからもどうぞよろしく。
投稿: にのもんた | 2010年8月12日 (木) 10:03