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2009年2月21日 (土)

夢も希望もない自己決定

人工呼吸器をつけて、補液をしてぶよぶよになるか、何もしないですぐに死ぬか、どちらかを選択してください――医師が家族に選択を迫る場面に出くわしました・・・

また、食べ物がないとき、次に3つの選択肢からどれを選びますか?
1 何も食べないで餓死する
2 他人の食べ物を奪って生き延びる
3 犯罪を犯して警察に捕まり、留置所で生き延びる

今日の午後、田川市の福岡県立大学で、福岡県看護協会筑豊ブロックの研修会で講演した際に出た質問です。

このような、夢も希望もない自己決定・・・それをどのように考えればいいのですか?
という質問でした。
皆さんは、この質問にどのように応えますか?

バイオエシックスの根本に関わる、重大な問題だと思います。

私の講演の中で、在宅ホスピスは支えるケアである、それは5つの内容があると述べました。
1) いのちと生活を最期まで支える
2) 自己決定を支える
3) 家族を支える
4) スピリチュアリティを支える
5) 地域で支える

その中で2)自己決定を支える、について、自己決定の大切さと難しさを話しました。
医療やケアの基本は、相手の尊厳を守る、人権を尊重することであること、自己決定を支えるためには、まず相手の価値観の理解と尊重および、情報を共有することが必要で、それが「共に歩む医療」の出発点である、と話しました。
同時に、自己決定というけれど、簡単なものではない、たとえば家族への配慮で家に帰らない老人もいる、バングラデシュなど貧しい国では、医療に選択の余地がない場合もある、またいわゆる「世間」の無言の圧力の恐ろしさについてものべました。
いずれにしても、バイオエシックスの基本である「自己決定」を基本とする、という前提で話したものです。

さて、最初の質問に戻ります。

2つの質問のように、どちらを選んでも厳しい選択をせざるを得ないときに、私たちはどのように考えて選択すべきなのでしょうか、またそのような状況にある患者さんや家族に対して、どのような援助ができるのでしょうか。

最初の医師の質問に関して、最も問題となるのは、医師のコミュニケーション能力、資質の問題だ、と指摘しました。
困難なテーマを相手に無造作に、丸投げするのではなく、一緒に考えましょう、という姿勢を取るべきではないか、と思いました。

もう一つ両者に共通する問題は、自己決定、選択の厳しさ、です。
自分で自分の運命を引き受けることの、大切さとその重さ、といってもいいと思います。
実際、在宅の現場でもこのような問題に直面することは多々あります。
数日前のことです。
60歳の女性で末期がんの患者さんが、吐血をしました。がんの浸潤によるものでやむを得なかったのですが、急な大量の吐血、それに私が徳島出張中だったこともあり、救急車で病院に入院しました。
翌日には出血が止まったのですが、その翌日にはまた出血、3日目朝早く私が病院に見舞ったときには、ベッド上に血のついた寝衣で力なく横たわる彼女と、不安げに見守る娘さんがいました。

「先生、もう私、(家に)帰れそうにありません。」

青白い顔で彼女が言いました。
私もそうかもしれないと思いました。しかし、あえて彼女と家族に3つの選択肢を示しました。
① このまま病院で輸血をしながら対処する。
② 思い切って在宅に戻る。
③ ホスピスに転院する。
いずれの選択も、いのちの危険や、身体的、精神的負担なしではできない相談です。
しかし、そこから逃げることもできません。
本人と家族は、きっと必死で悩んだに違いありません。

その日の午後、彼女は自宅に帰ってきました。
輸血もしながらですが、現在彼女は在宅で心豊かに過ごしています。
相変わらず厳しい状態にかわりはありません。でも、娘たちも死を前にして、毎日を過ごす母親と一緒に過ごすことの大切さをかみしめているようです。

自己決定というのは、とても大切なことで、それ故に辛いことも引き受けることになるのだ、ということを改めて感じさせられた質問でした。

ありがとうございました。

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