2017年10月 5日 (木)

風は生きよという

「風は生きよという」という映画の上映会&トークショーが行われました。

訪問看護ステーション「はな」のボス、平野頼子さんが中心で熱心に進めてくれた企画です。
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海老原宏美さん。
自身が人工呼吸器ユーザーで、東京都の「自立生活センター東大和」のリーダーとして、障害者の地域生活に関わる権利養護・相談支援を行なっています。
彼女を始め、人工呼吸器ユーザーの障害者たちを主人公とした80分のドミュメンタリー映画です。映画の紹介文から・・・
もしもあなたが、病気や障害のために身体を動かせなくなったとしたら、どんな人生を想像しますか?
映画が映し出したのは、ふつうの街でふつうの生活を送る人びと。特別なことといえば、呼吸するための道具・人工呼吸器を使用していることくらい。
淡々とその生活を映し出し、歩んできた人生を見つめた時、浮かんできたのは日常の尊さ。
たくさんの支援が必要だからこそ、多くの人に出会え、自由に動くことができないからこそ、生きてあることに感動する。
会場のアクロス福岡4階の国際会議場には、250人を越える聴衆が来てくれました。
入りきれないのではないかと心配するくらい、事前に多くの方からの申し込みがありました。
幸い、来場者は全て入ることはできましたが。

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2017年9月15日 (金)

1歳を前にして・・・

昨夜10時過ぎに、Kちゃんのお母さんから私の携帯に電話がありました。

直接携帯に電話があることは初めてです。
普段は訪問看護師がファーストコールを受けることになっているのです。
「Kの呼吸が止まりました。このまま家で看取ろうと思います。先生、来てくれますか?」
大急ぎで準備をして数分後、クリニックを出ようとした時、また電話がなりました。
「呼吸が戻り、脈拍も130になりました。・・・(少し迷いながら)・・大学病院に連れて行こうと思いますが」
そうですね。大学病院に運んでもらってください。・・・と私は答えました。
ご両親が、悔いのないようにしてもらいたいと思って、私の意見として大学病院搬送を勧めました。
家に帰り、どうなっただろう・・・と考えながらビールを口にしました。
しばらくして、お父さんから電話。
Kは○時○分に亡くなりました、という報告でした。
お役に立てずに申し訳ありません。。。といって電話を切った。
考えたこと
死すべき定めにある子供を看ている、特に在宅で看ている両親の思いはどんなものだろう。
じっくりと、家で看取ることについて話し合ったことがなかったが、それでよかったのだろうか。
もっと家での看取りについて話し合いをしておくべきだったのではなかろうか。
それでも「自宅で看取りたい。先生、来てください。」という母親の言葉は、私たちへの信頼と考えていいのだろうか。

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2017年1月12日 (木)

新しい年は、久留米大会から

しい年2017年が始まりました。
 
今年はまず、2月4日(土)、5日(日) 久留米シティプラザでの
『日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会in久留米』から始まります。
 
1992年に設立された「日本ホスピス・在宅ケア研究会」--ホスピス運動、在宅ケアについて、医療や介護の専門職と患者・市民とが同じ目線で語り合うことを主眼に発足した全国組織です。
 
毎年1回、全国の仲間が集まって交流と研究発表などを行います。
今年は福岡県久留米市で、第24回目の全国大会です。
大会長は、私=二ノ坂が務めます。
みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。
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2016年11月19日 (土)

在宅ホスピスを語る

今日は年に一度の、「在宅ホスピスを語る会」でした。

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この一年の在宅ホスピスのケースの中から、お二人の遺族に登場していただき、共に伴奏した看護師などのインタビューを受けながら語ってもらいます。
それを、同じ体験をした方たちや地域の方たちが共有する、という会です。
 
第一部は、オカリナとギターの演奏です。
私たちのオカリナの師匠でもあるSHANAさんご夫妻が出演してくれます。
今日もすばらしい演奏でした。
このオカリナの演奏の後に、ご遺族の話を聞く、というのが環境を整えるのに役に立っているのでしょうか。
今日は私もずうずうしく登場し、「ザ・ローズ」のソロ、並びにSHANAさん、私の女房との3人で「ふるさと」を演奏しました。

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2016年9月13日 (火)

抗がん剤の切れ目が、縁の切れ目

80歳の女性。
ご主人と一緒に来院。いつものようにアミノレバンの点滴を行った。
1時間ほどして娘さんが来院。娘さんはS病院に行ってきたところ。
1年前から肝臓がんでS病院で抗がん剤治療を受けてきた。
辛い治療だが、主治医を信頼して一生懸命治療を続けてきた。
娘さんに対する今日の主治医の言葉・・・今後は、緩和ケアですね・・・治療を受けないのだったら、当病院に来る必要はない、(肝硬変のために)意識がなくなったり、吐血下血をした時も、他の病院を探しなさい・・・

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2016年8月21日 (日)

在宅ホスピス事例検討会、105回目に。

今日8月20日(土)は、毎月1回の『在宅ホスピス事例検討会』。

今日で105回目になる。10年前から継続している会で、医師、歯科医師、訪問看護師、薬剤師、ケアマネージャ、ボランティアなど多彩なメンバーが参加する。昨年から各回の担当施設を決めてやるようになって、内容も充実し、参加者も増えてきた。
今日はにのさかクリニックの担当。
事例検討は、脳性麻痺で病院、在宅の暮らしを行ってきたR君、33才。
4年間、当院が在宅で担当した。受け持った頃は寝たきりで自分で動くことはできず、言葉も発せなかった。気管切開しており、夜だけだったが、人工呼吸器をつけていた。胃瘻も作っていたが、胃空腸吻合のせいか?利用できず、経鼻胃管を入れていた。
気管切開孔が大きく、気管チューブが抜けやすい。(抜けても、自発呼吸があるので、慌てることはないのだが。
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2016年4月10日 (日)

胃瘻2題

 
AMさん 97才
住宅型の施設で過ごし、当院からの訪問を受けていました。
認知症はありますが、朗らかで表情豊かな方。1週間前に発熱、往診で誤嚥性肺炎と診断し近くの病院に入院していました。入院6日目に息子夫婦が相談に見えました。嚥下の検査で誤嚥が見られ、今後経口摂取は不可能といわれた。胃瘻を作るかどうか検討したい、と。慌てて当院に相談に見えた次第です。
みなさんだったらどう考え、どう返答しますか?

私は迷っているお二人に、97才という年齢、今後の生活の質、胃瘻を作って生き延びたくないと言っていたという本人の希望を考慮したら胃瘻は止めて、さっさと帰ってきたらどうですか、と答えました。

2日後に施設に帰ってきて、早速夕食を食べました。
家族もびっくりですが、おかゆを10割、おかず(一口刻み)を5割などしっかり摂取。
もちろん施設のスタッフの注意深い食事介助のおかげもあります。
それ以上に、本人の生きる意欲、生命力への信頼が大切がと感じました。
ここでは写真でお見せできないのが残念ですが、この日夕食後に私が訪問したときのAMさんの明るい、豊かな表情。これはAMさんのこれまでの人生が作り上げた顔だなとつくづくおもいました。
 

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2015年2月10日 (火)

実践ならでは ・・・在宅ホスピス実践シンポで考えたこと

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日本ホスピス・在宅ケア研究会主催の、第16回在宅ホスピス実践シンポが、2月8日(日)午後、神戸市で開かれました。

テーマは、

「在宅医療の質の向上を図る~在宅専門vs外来・在宅ミックス型の協働を」

在宅医療を担っている、在宅専門診療所と、従来の外来+在宅のミックス型診療所、両者の違いを明らかにし、その協働の方向性をさぐろうという試みです。

実は、前回同じようなテーマでお二人の講師にお願いしたのですが、広報不足で全く人が集まらず、もう一度、という声で今回になりました。今回はこれに加えて、在宅では仲間として欠かせない訪問看護師とケアマネージャーにも参加してもらい、それぞれの視点から、在宅専門診療所、ミックス型診療所について忌憚のない意見を述べてもらおうというものです。

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2015年1月27日 (火)

ブログの役割

ファイスブックが簡単で、写真もすぐに載せられるので、ついついブログがおろそかになってしまう。

今回も、1月末になってようやく今年初ブログ。
心がけとして、ファイスブックは、本当に人々に発信したいものを発信するようにしたい。道ばたで見つけた花や石や空や警句などを、自分というフィルターを通さずに垂れ流すのはやめよう、と思っている。
ではブログでは。
自分の思索や思想を深めるような記事を書いていきたい。
じっくりと考え、書いて、じっくりと読んでもられるような。
そんな記事になるといいな。
今回のブログは、そんな思いのみでした。

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2014年10月26日 (日)

赤ひげ大賞に思う

日本医師会の赤ひげ大賞を受賞しました。

今回で3回目、受賞者は全国で5人というものです。
開業して18年の活動を評価していただいたものと、素直に喜んでいます。
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『赤ひげ診療譚』という山本周五郎原作の小説、およびそれを映画化した黒澤明監督、三船敏郎主演の映画『赤ひげ』から取ったものだということは、誰でもわかると思います。今回、じっくりと『赤ひげ診療譚』を読んでみました。Kindle(iPhone用)で読みましたが、どこでも読める、見やすい、ハイライトができるなど大変便利でした。
赤ひげ大賞、ではなく、『赤ひげ診療譚』を読んで感じたことを書いてみます。
赤ひげの名前は、新出去定(にいで・きょじょう)といいます。
長崎帰りの若い見習医師保本登(やすもと・のぼる 加山雄三が演じる)に話します。
「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ。病気が起こると、或る個躰はそれを克服し、べつの個躰は負けて倒れる、医者はその症状と経過を認めることができるし、生命力の強い個躰には多少の助力をすることもできる、だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃあしない」
「ー現在われわれにできることで、まずやらなけばならないことは、貧困と無知に対するたたかいだ、貧困と無知に勝ってゆくことで、医術の不足を補うほかはない」
「それは政治の問題だと云うだろう、誰でもそう云って済ましている。だがこれまでかつて政治が貧困や無知に対して何かしたことがあるか、貧困だけに限ってもいい、江戸開府このかたでさえ幾千百となく法令がでた、しかしその中に、人間を貧困のままにして置いてはならない、という箇条が一度でも示された例があるか」
「・・・問題はもっと前にある、貧困と無知さえなんとかできれば、病気の大半は起こらずに済むんだ」

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